金沢大学での15年間を振り返って


京都大学大学院医学研究科 附属動物実験施設 浅野雅秀

私は早川先生の後任として,平成12年の1月に金沢大学に着任しました。ちょうど2000年を迎えるということで,いわゆる2000年問題が心配されていましたが,特に問題もなく2000年は始まりました。それから15年が経過し,この度京都大学に異動となりましたが,この15年間を簡単に振り返ってみたいと思います。

金沢大には縁もゆかりもありませんでしたので,40歳の若造の私をよく教授に採用していただいたと今でも当時の医学部の先生方には感謝しております。前任は東大医科研の動物施設でしたが,助手/講師という立場でしたので,責任を持って動物施設の運営に携わるのは初めてでした。最初の大きな仕事は老朽化した施設の改修でした。平成13年末に施設改修の予算の内示があり,橋本さんや本多さんと一緒に大慌てで改修の図面の作成を行いました。特にたいへんだったのは飼育していた動物をすべて他の場所に移すことでしたが,今の駐車場にプレハブの飼育室を建設してなんとか工事期間をしのぐことができました。その後,国立大学には法人化の大波が押し寄せ,金沢大ではその前年に共同利用施設は学際科学実験センターとして改組され,我々のところは遺伝子改変動物分野となりました。この時に教員枠がひとつ増えて,成瀬さんを助手として採用できたのは,その後の研究室の発展に大きな収穫でした。

研究室の方は最初は医学修士がなかったので,薬学修士に入れてもらい,毎年院生が来てくれるようになり,活気が出てきました。金沢大では生体内での糖鎖の機能を解析するために,ガラクトース転移酵素遺伝子群のKOマウスを次々と作製して,院生やスタッフが解析して論文も出るようになりました。後半はヒストン修飾に注目したエピジェネティクス研究も始めました。平成16年からは21世紀COEの事業担当研究室となり,ポスドク(のちに助教)として吉原さんが参加しました。この15年間で,13名が修士の学位を,6名が博士の学位を取得して,研究室を巣立っていきました。また,平成13年に技術職員として参加した杉原さんを中心に,遺伝子改変マウスの作出と解析で,学内外の多くの研究室と共同研究をさせていただきました。それらも含めると,金沢大に赴任して新たに始めたプロジェクトで約50報の論文を発表できました。施設の業務としては,胚凍結や胚移植を中村さんと青木さんを中心として行い,中動物は内本さんが担当しました。

このように研究も施設運営も順調に思われた平成20年の1月末にMHVの感染が発生しました。我々の飼育室は大丈夫でしたが,複数の飼育室が汚染されており,スタッフ総出で対応に追われました。感染の広がりは予想以上に早く,糞便を用いたPCRによる検査と感染マウスの淘汰と隔離に連日追われたことを思い出します。感染マウスは遺伝子研究施設の感染動物室に隔離して,順次体外受精でクリーン化を行いました。施設教職員の協力により4月末には終息宣言を出すことができました。平成22年にはがん研が角間キャンパスに移転することになり,その建物の6階に2,000ケージ規模のSPFマウス飼育室を設置することになりました。そこを担当するために新たに神村さんが助教として参加しました。

私も動物施設を担当して10年になりましたので,学内では平成21年から学際科学実験センター長をお引き受けし,学外では実験動物学会の理事として学術集会を担当することになりました。また,国動協活動では平成23年に東日本大震災のために総会開催が困難となった時に,震災の影響を受けなかった金沢で急遽総会開催を引き受けました。その後24年〜25年は国動協の会長を拝命して,動物愛護法の改正時に文科省とのパイプ役になりました。この15年間,動物施設の教員や技術職員をはじめ,学際センターや医学系研究科の多くの先生方のご支援をいただき,研究・教育・施設運営をなんとかこなすことができました。ここにあらためて,皆様に感謝の気持ちをお伝えして,金沢大での15年間を振り返りたいと思います。


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