「実験動物の福祉と研究者の責任」


慶応義塾大学 医学部
教授  前島 一淑


 人々の動物に対する感情は、国、民族、宗教、社会、教育、年齢、性別等によって様々てある。ある人は、動物を食べたり、労働に利用したり、狩の対象とすることになんの痛痒も感じないが、ある人は、動物を食べることを罪悪視している。また、このような感情は、動物の区分(野生動物、家畜、愛玩動物、実験動物等)、あるいは、動物種(ゴキブリ、チョウ、イワシ、マウス、ウサギ、ネコ、イヌ、リスザル、チンパンジー等)の違いによって一様ではない。愛玩動物としてのイヌを実験動物として利用することに賛成しても、クジラの捕獲には激しく反対する人かいる。
 西洋と日本を含む東洋では少し異なるが、一般的に人々の動物観は動物保護 animal protection、動物福祉 animal welfare、動物解放 animal liberation へ流れているとみてよい。保護と福祉の相違点は、上位から手を差し延べるか対等の立場で手を差し延べるかの違いてある。児童を保護したと児童の福祉を考えるの2つの表現のニュアンスの違いから類推できよう。西洋には、動物を慈しむことは神から与えられた人の務めとする動物保護の思想が昔からあったが、第2次大戦の前後から、動物は人の仲間であるとして対等の立場で動物に接しようとする動物福祉運動に変貌し始めた。動物を人の同類と見なす立場は、動物にも人と同様に生きる権利や苦痛から逃れる権利があって、それを守ることが人の義務であるとする動物権利animal rights 論に発展し、それに基ずく動物解放運動が1970年代に入って西洋で力を得てきた。
 日本において動物権利運動に同調する人々は、現在のところ極めて少数派である。しかし西洋ては、動物権利論に賛成する人の比率は想像以上に高く、動物実験に反対する国民の比率は3割から4割に達する勢いである。世論がそのような状態であるから、西洋の医学や生物学の研究領域だけが動物実験賛成派で占められているとは考えられない。そのような状況を背景として、動物実験の3Rs(動物実験の非動物実験への置換 replacement、実験動物数の削減 reduction、実験動物が被る苦痛の軽減 refinement)が研究者の努力目標となった。
 3Rsはオルターナティヴ alternatives とも表現されるが、この概念を動物実験の現場で実現させるために、西洋では様々な法規制が行われている。この種の法規制を、科学に対する謂われなき介入と誤解する研究者がいまでも日本には少なくないようである。しかし、西洋における動物実験に係る法規の大部分は、激しい批判や反対運動に曝されている動物実験を円滑に推進するために策定されたもので、この法規制は研究の味方てある。したがって、西洋の研究者はこれらの法規を素直に守っている。  日本でも、総理府告示『実験動物の飼養及び保管等に関する基準』、文部省局長通知『大学等における動物実験について』、その他の法規や指針か策定されており、それらを適正に守れば新しい法律の制定や厳しい条文への改正の必要はないのである。しかるに日本の現状は、法の弾力的運用と称して条文上許される限度を越えて緩やかに適用したり、人目のない所では法を無視する事例があって、それが明るみに出たとき、本来は動物実験に理解をもっている人々を大学や研究所を阿鼻叫喚の場とする誤解者に変えている。研究者のこのように軽卒で無責任な行為が、どれほど医学や生物学の健全な進展を阻害しているか測り知れない。
 動物観の変遷と西洋と日本の相違、各国の法規制の現状について触れた後、日本における動物実験反対 (批判)運動とそれに関わった研究者の対応を例に挙げ、実験動物の福祉と研究者の責任について私見を述べたい。

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