大学院特別講義
(遺伝子改変動物学セミナー)

「実験用ラットの歴史とラットリソースの活用」

芹川 忠夫 先生

(京都大学大学院 医学研究科附属動物実験施設 教授)

日時:1月19日(木)17時00分より

場所:医学部会議室

実験用ラットの起源は、19世紀にヨーロッパ・米国において流行したRat killing game用に繁殖されたラットに由来するものがあると思われています。これは、囲いの中に放たれた100匹ほどのラットをテリア犬がすべてを噛み殺す時間を賭けるというゲームです。この悪趣味なゲームが盛んに行われると、ラットがたくさん必要となり捕獲してきた野生のラットの繁殖が始まったと想像されます。繁殖するうちにアルビノのラットが見つかりもしたでしょう。それらを別途に愛玩用として繁殖維持していたものが実験用ラットとして使われだしたのではないかというストーリーです。一方、我が国では、18世紀、江戸時代(天明)に「珍翫鼠育艸」や「養鼠玉のかけはし」に愛玩用の鼠が登場します。この、ほのぼのとした文化と西洋のラットゲームの違いには驚かされます。私は、日本の古い愛玩用鼠の末裔が実験用ラットに含まれているのではないかと思い、ラットの歴史には大変興味をもっています。岐阜の長吉ラット、春日部ラット、群馬県の呑竜ラットなど、日本の地名の付いたラットは知られていますが、江戸時代の愛玩用ラットに由来しているかどうかは不明です。むしろ、これらは我が国に持ち込まれた初期のウイスターラットに由来するのではないかと思っています。日本人とラットの初期の繋がりで重要な人物は、畑井新喜司先生です。ウイスター研究所の初代所長ドナルドソンは、シカゴから着任する時、4ペアのアルビノラットと畑井先生を伴っています。畑井先生は、実験用アルビノラットの旧学名Mus norvegicus var. albus HATAIの名づけ親であり、実験用に多用されているウイスターラットの始まりに大きく貢献されました。東北帝国大学の動物生理学講座の初代教授として戻られた先生は、ミミズ博士としても有名ですが、なぜか日本では全くラットを用いた研究はされなかったようです。

ご存知のように、2004年4月号のNature誌には、ラットゲノムの精密なドラフトシークエンスに関する論文と関連記事が掲載されました。ヒト、マウス、そしてラットという哺乳動物のゲノムシークエンスが明らかにされたことにより、ヒトを理解するための動物モデル、あるいはヒト疾患モデルとしてのマウスとラットの位置づけが高まり、これらを用いた分子生物学的研究が無限の世界から有限の世界へと移ったと位置づけられます。ラットについて言えば、クローンラットの成功や、迅速で効果的なジーンドリブンミュータジェネシス法による遺伝子ノックアウトラットの作製法が報告されるようになりました。このような背景の下、京都大学大学院医学研究科附動物実験施設が中核機関となり、ナショナルバイオリソースプロジェクト「ラット」を進めています。Material Transfer Agreement (MTA)を締結して、寄託されたラット系統は、平成17年11月末までに293系統に達しました。この中には、標準的な系統、自然発症ミュータント、コンジェニック系統、リコンビナント近交系、トランスジェニックラットなどが含まれています。寄託されたラット系統については、それぞれ、胚凍結保存および標準的腸内細菌叢を定着させたSPFラットとして維持する体制を順次整えています。また、フランスやドイツからもラット系統を導入しています。本プロジェクトでは、フェノームプロジェクトと称し、各系統のDNA多型マーカーによるゲノムプロファイルと特性プロファイルデータを独自に蓄積しています。後者では、各系統雄6匹を用いて6-10週齢の間に、機能観察総合評価(FOB)、行動解析(自発運動量、受動的回避学習等)、血圧・心拍数、血液生化学的検査、血液学的検査、尿量・尿中電解質、解剖検査(体重、臓器重量)の合計109項目を検査しています。得られたデータは、ユーザーフレンドリーのデータベースとして、NBRP-Ratホームページ http://www.anim.med.kyoto-u.ac.jp上で公開しています。ラット系統に関する基礎情報を集積する中で、新たな疾患モデルの候補としての特性が見出されています。また、研究目的に最適なラット系統の選択・入手が可能となり、ラットを用いる基礎研究、応用研究(新薬探索、先端医療の開発研究)の発展に大いに貢献すると思います。

新たな疾患モデルラットの開発例やラットのリコンビナント近交系の魅力についても言及したい。

連絡先:学際科学実験センター遺伝子改変動物分野 浅野雅秀
TEL: 076-265-2460, E-mail: asano@kiea.m.kanazawa-u.ac.jp