「畜産領域に於けるバイオテクノロジー,特に胚移植の動向」


福井県畜産試験場 技術開発部
主任研究員 近藤 守人


1.畜産領域における胚移植をめぐる推移
1)はじめに
 バイオテクノロジー的手法を利用した関連技術は,近年めざましい発展と成果を達成している。畜産領域に於けるこうした技術の応用は,家畜の改良・増殖技術としての繁殖領域でその利用効果が期待されている。特に胚移植(受精卵移植またはET)については実用的に利用できるまでに発展し,一部は企業化され,商業ベースで実施されている。
 さらに本年に入りクローン家畜の成功などの報告があいついでおり,一般の人の関心も高いことから,胚移植の現状を中心に現在我々が取り組んでいる課題などを考察し,話題提供としたい。

2)我が国での推移
 我が国の胚移植は,1964年農林省畜産試験場において世界ではじめて非手術的な手法によって子牛生産に成功し,その後,現在の農水省家畜改良センターを中心に,技術の簡易化,安定化が図られた。
 一方,行政サイドからは,昭和58年に家畜改良増殖法が改正され,各種の措置が講じられるとともに,試験 研究と実用化に対して補助がおこなわれて来た。

表1 胚移植の主な推移
摘 要
1964 胚移植による牛第一号誕生(農林省畜試)
1973 牛の胚凍結成功(Wilmut 他)
1979 羊での細胞分離による一卵性双生児生産(Willadsen,S)
1982 牛の体外受精成功(Brackett, B)
1984 豚の体外受精成功(Cheng, C 他)
1985 卵胞卵子で牛体外受精成功(花田,他)

1995年度の体内胚生産頭数11,322頭,体外受精生産頭数1,216 頭で,今後さらに増加することが予想される(福井72頭)。

2.関連技術の動向
1)体外受精技術
 牛の体外受精は従来,と畜場に出荷された雌牛の卵巣から採取した未成熟卵子を体外で成熟・受精・培養してきた。この方法で1卵巣あたり3〜4個の移植胚を得ることが可能である。しかし,生体由来の胚に比べ耐凍性が劣り,そのため受胎率が低いことや,母牛の特定が困難で親子の血統証明が取りにくいなどの欠点がある。これらの点を補う手法として,生体から超音波誘導により,卵胞内卵子を採取し体外受精に供する技術が盛んに検討され,野外で応用されつつある(超音波採卵)。
 福井畜試では昨年,黒毛和種2頭を用いて,連続超音波採卵(1週間1回,連続8週)により得られる卵子の数と,このような処理が生殖器に及ぼす影響を検討した(表2)。その結果1回当たり6.4個の卵子が回収され,うち1頭は試験終了後に通常の発情・排卵も確認された。また,1頭に卵巣・卵管采・卵管の癒着が認められた。
 また,本法により得られた個体毎の卵子胚発生率は20%程度(平成9年度中間成績)となっており,現在この胚の移植で2頭が受胎している。今後はさらに胚発生率を向上させる必要がある。

表2 超音波採卵1回当たりの平均回収卵子数
5/8〜6/26(8回平均) 8/28〜10/16(8回平均) 合計 (16回平均)
試験牛1 7.5±3.97 3.6±1.41 5.6±3.55
試験牛2 9.1±3.30 5.4±2.69 7.3±3.54
合 計 8.3±3.74 4.5±2.32 6.4±3.65

2)性判別技術
ア,胚を用いた雌雄判別
 家畜では雌雄を産み分けることができれば,経営上,非常に有益で,効率化と低コスト化が図られる。近年,胚細胞の一部を取り出し(バイオプシー)雄または雌の特異的DNAをPCR法によって増幅し,そのDNAの有無を検出することにより雌雄を判定する技術が開発され,我が国でもその試薬がキット化され,野外でも利用されるようになった。本法での平成7年度の全国受胎頭数は300頭弱であり,受胎率は新鮮胚で36.5%,凍結胚18.9%(農水省調べ)となっており,無処置胚に比べ低率に止まっている。
 これは,胚細胞採取による損傷の影響で,とくに凍結胚での生存性が低下するためである。このため,いろいろな凍結方法(暖慢法または超急速ーガラス化法)や耐凍剤が検討されているが,いまだ満足できる方法はない。
 福井畜試では体外受精胚を用いて,バイオプシー胚の培養方法や凍結媒液について検討を加えている。発生培養液にリノール酸アルブミン(LAA)を添加することで生存性を高めることができた(表3)。また,凍結媒液への牛血清アルブミン(BSA)添加による効果はみられなかった。

表3 発生培養液へのLAA添加が体外受精バイオプシー胚の生存性に及ぼす影響

区 分 LAA添加区 LAA無添加区
生存率 41.8(38/91) 25.8(25/97)

 なお,福井畜試で,現在までに本法で雌雄判別した牛が4頭既に分娩し,PCR法による判定どおりの結果であり(雄2,雌2),母子ともに健康であった。

イ,精子段階での雌雄産み分け
 精子頭部のDNA含量を瞬時に判定して精子を分別できるフローサイトメターを用いたX,Y精子の分別技術に関して研究が行われている。しかし,現在の技術水準では分別速度が遅く,かつ,処理後の精子の活力が著しく低下する。このため,分別精子は体外受精や顕微受精などの分野での技術利用開発が進んでいる。

3)核移植技術
 畜産分野での核移植技術は,16〜32細胞に分裂した初期受精卵の卵細胞(供核細胞)を除核した成熟卵子に移植(細胞融合)し,遺伝的に全く同一な受精卵を多数生産するものである。さらに,これを移植して,いわゆるクローン家畜を生産する技術である。
 しかし,現在の技術レベルでは,融合後の発生率や,移植後の受胎率などが低く,我が国では一卵性5つ子が最も多いクローン牛の生産例である。今後,この技術の実用化のためには,供核細胞の細胞周期の調整,卵子の活性化処置法の検討など,基礎的バックデータの進展が必要であると考えられる。
 一方,全能性があり,かつ,無限増殖可能な胚性幹細胞(ES細胞)を核移植に応用できれば,クローン家畜の生産効率が飛躍的に改善されると期待され,現在,技術開発が進められている。
 最近,英国では,緬羊にてES細胞に近い継代培養した細胞,さらには乳腺細胞を培養した継代体細胞を供核細胞とする核移植による子緬羊の生産が報告され,今後はさらに多方面での研究成果が期待されている。


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